1988年10月8〜10日 上高地ツーリング、日帰り前穂高往復
はじめての登山

単独、アプローチ:ヤマハビラーゴ750

10/8 晴
AM2:30起床、4:00自宅(千葉県佐倉市)発(蔵前通り→R20)
→6:07高尾山登山口通過→7:00大月→7:33勝沼
(諏訪、塩尻峠経由)→10:40松本着(熊崎氏の家へ)、
14:50松本発→16:50上高地着(バイクで直接入れた)

昨年(86年)の夏、初めて高校の同級である熊崎氏(くまさん)に松本であった時、上高地から見える山は晴れたら運動靴に
ナップザックで登れるよ!と聞いたので、今回TRYしてみる事にした。

勝沼手前では曇っていたが、甲府を過ぎると青空が広がる。
松本のくまさん家に寄ったらラッキーなことに会えて、そのまま二人で信州大の学食へ、
そこで、昨年お世話になった、あざみ君と磯村君に再開。カレーライス(350円)、りんご(80円)を食べる。
りんごがやけに美味しい。
「穂高に登ると」いって、松本を後にする。
8月のハイシーズン以外は上高地まで直接車が入れる。バイクから荷を下ろし、
小梨平キャンプ場でテントを張る。明日登る前穂の夕日が綺麗だった。

10/9 晴
AM5:30起床、7:17河童橋発→8:40岳沢ヒュッテ着、8:55同発→11:05前穂高山頂着
11:47下山開始→14:05岳沢ヒュッテ着、14:40同発→15:56河童橋着
 小梨平キャンプ場泊。

夜は緊張のせいかあまり眠れなかった。夜、誰もいない河童橋まで歩いて、満天の星空と梓川の流れの音の中で
今日の登山の成功を祈る。
小梨平のキャンプ場にテントを張ったまま荷物をデポ。ナップザック+運動靴+Gパンの格好で出発。

自分の体力も判らず、どれくらいきついのかも判らないので、13時まで登って、引き返す計画だ。
荷物が軽いせいか、登山者をどんどん抜いて行くが、かなりきつい。
岳沢ヒュッテにはコースタイムより40分短縮して到着、少し安堵。ここからは穂高が眼前にせりだし、
かなりの威圧感、そして紅葉が綺麗だ。ここでは缶ジュースが300円もする!
岳沢の紅葉

岳沢から200mも登ると高い木は少なくなる。重い荷物を背負った登山者からは、運動靴、ナップザックで登って
行く俺に
「何処まで?」
「え!前穂往復!?」
と驚きの声。
  
 ”カモシカ立場”からの眺めですでに日本とは思えない眺め。ここからの登りはもう絶壁にしか見えない。
おりれるのかな?と思う。それにしてもキツイ、こんなに疲れたのは生まれて初めてだ。

”君子平”、という所でみんな荷物をデポしてのぼっている。自分はそのまま直登。あれが頂上か?という所からが
長い。そして、あと10m、あと5m、今まで壁だった穂高の向かう側の空がどんどん広がる。。。
  そしてその空の下には。。。

"おぉ〜!!!なんじゃぁあこりゃぁ!!!すっげぇ!!!"

という景観が広がっていた。これは日本??? まさにそんな世界だった。
振り返ると上高地があーんなに小さく見える。梓川の上流もあんな風になってるんだ!
おぉあんな所に小屋が!(奥穂高山荘のこと)  と驚きの連続だ。
 登山者に

「あの尖った山はなんですか?」

と聞くと槍ケ岳との事。
360度の視界に南アルプス、中央アルプスも見え、今までの疲れが吹き飛んだ。。。
しばし上高地に方向に向かって座り、展望を満喫。コースタイムより1時間50分短縮したので、多少ゆっくりできた。
この感動が山登りを始めるきっかけとなる

ここから見る夕焼けは綺麗なんだろうなぁ。。。と思いつつ記念写真をとって下山を開始。
先程、抜いた登山者からは「もう登ってきたの?」とのお言葉をもらい、このまま下山するのがちょっと、
いやかなりもったいない気がした。

下りも結構きつく、足はガクガク、水も無くなって来た。ようやく岳沢にもどりしばし休憩。ここからの下りがまた
長かった。梓川の音が聞えてきた時には元気が出た。
そして、河童橋に到着!登ってきた穂高を見上げる。これまでは上高地で引き返していたので
それまでの感覚とはまるで違っていた。もうすごい感動!

小梨平キャンプ場に着いて穂高を見ながらのコーヒーはこれまた美味しいかった!

10/10 晴
AM3:30起床、9:15上高地発(R19、R20、霧が峰有料、R299、R141、R254)
14:43荒船山周辺(R254,R17,R16)、19:37自宅着

全走行 745km、全費用8805円(おぉ1万円かからない すごい!)

P.S:当時の記録を残しておいて良かった。昔、小学校3年の時にオヤジに上高地に連れて行ってもらった記憶と
   信州大に進んだ"くまさん"のアドバイスが今回の山登りに自分を導いた。
    当時は山の名前も知らず、ジュースの値段でビックリしていたのが笑える。
   服装もGパンに綿のTシャツ。カッパもただのビニール製。今考えるとはずかしいくらい。
 
    あのとき"くまさん"が「晴れてりゃ誰でも登れるよ!」と言ってくれた事が大きかった。
   これが、山学部とかの人だったら"山を舐めちゃいけない"、"服装は。。。"、"装備は。。。"と言われ、小心者で
   めんどくさがり屋の自分は山に入らなかったかもしれない
   そして、山頂についた時のあの展望が無かったら。。。そう考えると山との出合は奇跡的だったのか。。。?


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