角松敏生の詩についての私の推論


この内容は既に角松敏生をよく聴いている人に向けた内容になってます。シンガーソングライター角松敏生を知らない人は
こちらをご覧になってください。

さて、角松の曲の詩は、本人も"血を流して創っている"と言うだけあって自分自身に起きている事を曲にしている物が多い。いろいろな聴き方があると思うが、詩の意味を理解して曲を聴いてみるのも1つの聴き方だと思います。本人が、血を流して書いている詩を理解しようするのはファンとしての1つの姿勢かもしれないし、



そこまでして正直に曲を創っている事が、角松敏生の魅力でもある。
そこで、彼のプライバシーを紐解く行為にもなるかもしれないが、たった1つのコラムを元に詩の意味を自分なりに解釈してみました。



角松は93年に音楽活動を凍結したが、その原因になる出来事やその時の気持ちが当時の曲に書かれているようで、その凍結に関わる曲を今回取り上げる。角松に関する様々な記事をも参考にしてるが、本人に確認したことは一切無く、


あくまで私個人の推測である事を大前提に読んでいただきたいと思います。もし違う解釈等がありましたらメールをいただければと思います                     *                     *                     *角松はファンクラブの会報に、たった1度だけ、自分のプライバシーについてコラムを書いたことがある。。






このコラムを知っているか,知らないかで詩の理解が全く違う物になってくるはずだ。
私も、このコラムを知る以前と以後では曲の解釈が180度間違っていたのだ。その2000字にも及ぶコラムを要約すると『角松は89年の9月18日に4年の交際期間(2年間の恋愛期間)を経て結婚する事になった。



しかし実はこの時既に愛して愛してやまないもう1人の彼女がいたこと。この彼女と出合ったのは
奥さんになられた女性と数ヶ月しか違わないとの事。角松本人は、両方の女性に相手の存在を結婚前から話していたので御互い相手の存在は結婚前から知っていた。そして結婚はしたがこの先どうなるかは解らない。。。そして、最後に。このことは心の奥にしまってください』という内容が書いてありました。                 



(→つまり私はこの禁を破ったわけです。。。)文面を見ると、結婚する以前からもう1人の彼女とは同棲していたように読み取れる部分もあります。


後から聞いた話では奥さんはJAL、もう1人の彼女はANAのスチュワーデスさんだそうです。このコラムを書いた後、皆さんご存知の様に、角松は結婚はしましたが、芸能界でBEST5に入るほど結婚生活は短かった様です。 この二人の女性の名前は、アルバム89年9月6日に出た


「Reasons for thousand lovers」
の歌詞カードの最後に出ています。奥さんがMさん。愛してやまない女性がSさんと思われます。 89年9月の時点で4年間の交際期間という事なので、83年からお付き合いが始まったことになります。となると、84年4月に発売された「AFTER 5 CLASH」から出て来る詩の中の"君"というのがMさんだったり、Sさんだったりする事が考えられます。特に、




アルバム「1987〜1993」に入っている曲は角松本人が「凍結に至る歴史を現している」と言ってる
だけに、"港が見える丘"以外の殆どの曲が、この二人のどちらかが関連した曲が入ってるのでしょう。  ちなみにSさんの名前は、アルバム


「BEFORE THE DAYLIGHT」の歌詞カードの最後の
”モシモシボイス”に初めて名前が出てきます。一方Mさんのほうはご家族のすぐそばに名前がかかれており、この頃からもう結婚を前提とした(?)お付き合いをされていたのかもしれません。 それまでの曲に出てくる"君"、"YOU"が二人のどちらか?と言うところまではなかなか解りませんが、88年2月に発売されたアルバム


「BEFORE THE DAYLIGHT」の中で1つだけMさんへ歌った曲だろうというのが解りました。それは

"I`d Like to be Your Fantasy"です。ここに出てくる詩の中の

"片隅でひそやかに見守っている人がいる"、"さよならを言いかけた時でさえ 何も言わず あたたかな微笑みをたたえてた"という個所がありますが、この部分がまさにコラムに書いた奥さんの人柄と非常によく似ている印象をうけました。この曲の最後に





"2度と1人にはさせないから"という一節は"結婚"を意識した時の曲なのでしょうか? さて、89年9月18の結婚式直前に販売された



「Reasons for thousand lovers」ですが1発目の曲である
"飴色の街"は角松を理解する上で非常に重要な曲だと思っています。主要なLIVEでは必ず歌われているし、角松本人が
"凍結に至るきっかけ"と題して選曲したアルバム
「1987〜1993」にも入っている。  LIVEで、お客さんはビートに合わせノリノリで聴いているが、そんな聴き方が出来るような詩では無いとは皆さん思いませんか? 私はこの曲、タイトルの


"飴色の街"というのは"結婚生活をしていた街"あるいは、"Mさんと暮らしていた街"
なのではと考えます。結婚式以前にこのアルバムは発売されているので、そんな事は無いだろうと思う人も多いかも知れないが、Mさんとは結婚する前から同棲している事も考えられるわけで、結婚を前提として一緒に暮らしているその生活というのは、世間からも認められる、甘い生活の場だったのではないでしょうか?この生活を飛び出して、世間からは理解されにくいSさんとの生活の場に向かう角松の後ろに、その"街"は"飴色"に見えたのかもしれません。







"一言も告げず出ていく事を許して"というこの曲の一節は角松がMさんに向かっての言葉と考えると上の推論が見えてくるのではないでしょうか?



"だけどこのままいたら この思いさえ嘘になる それ程 君を愛していた何も出来ずに。。。"ここに出てくる "君" もMさんのことでしょう。そして角松は"飴色の街"に別れを告げSさんの所へ向かったのだと思います。そんな情景が私には浮かぶのです。




  そしてSさんとの同棲生活(奥さんとの結婚生活と平行してる(?))に入るのですが、将来的な安定を求める(?)Sさんは


"約束さえもできない"  (アルバム「存在の証明」"Hope all goes well"から抜粋) 角松に不安を感じます。

そんなSさんの様子は「Reasons for thousand lovers」
"REASON"に現れています。Sさんは行き先の見えない愛に涙することもあったようですね。
"Knock my Door"では

"私にも 大切な毎日があるの"  という彼女の言葉に角松が戸惑いを受けているようですそれに対して、角松はその時のSさんへアルバム

「Special Live89,8/26」"Desire"という曲で話しかけています。

"愛しているならば どうして愛し続けないの""想いがあれば出来ないことなど何1つないさ そうさ このまま そばにいればいい"この一節に角松の気持ちが凝縮されてるようです。そしてこの




Sさんとの同棲生活も結局上手く行かなかったようです。角松はSさんに振られてしまった様ですね。
角松敏生81〜01Thousand day of Yesterdaysから)さて、こんな微妙な時期(90年7月)に発売されたアルバム

"LEGACY OF YOU"はインストアルバムですが、このアルバムがインストになったのも角松はこの時期"詩"を書ける状態じゃなかったのかもしれません。ただ詩の無いアルバムでも、ジャケットの写真でギターにビキニを着せているところも自分には非常に深い意味が隠れているいるように思います。ちなみにこのアルバムの頃には奥さんであるMさんは"BEST FRIEND"として登場しています。またこのアルバムに収められている"Mystical night love"はあの森高千里さんをモチーフにされたとの話は有名ですが、最後の曲だけ副題の女性の名前がありません。そしてこの曲のタイトルは







"S***"! そうこの曲はSさんをモチーフにした曲なんです。さてさて、話は進んで、アルバム
「ALL is Vanity」"夜離れ"では

"誰のためにも時を刻まなくていい""誰かに心まで奪われるほど。。。"と、独り部屋に取り残されてしまった様子が書かれているようです。 そして、




"ただ一度だけ〜"の曲の中で、Sさんは他の人と結婚された様です。この曲の通りだと角松は彼女の結婚式の披露宴に招待され、出席したみたいです。さぞかし辛かったんでしょう。アルバム



「1987〜1993」にも入っている"DISTANCE"という曲がありますが、冒頭の

"遠く離れて暮らす事が 愛を変えると言った。。。"という部分が、

"飴色の街"の中の一節 "だけどこのままいたら この思いさえ嘘になる"につながる気がするのですがどうでしょう?そう考えるとここに出てくる"君"はMさんの事なのでしょうか?その次の



"彷徨"はもうどん底の角松を表してます。ツアー"ALL is Vanity"ではこの曲は歌われなかったそうです。角松曰く、「この曲は歌いたくない」との事。。。  歌いたくない曲を創ってしまう歌手が他にいるでしょうか!!!


(すごすぎる!!!) さて、大好きだった彼女は結婚してしまったようですが、角松はそれでも諦めきれず(?)


「あるがままに」というアルバムを出しました。これはたった独りのためだけに創られたアルバム
角松敏生81〜01Thousand day of Yesterdaysから)で、
きっとSさんに向けて創ったのでしょう。このアルバムのジャケットの最後に

"If my music cannot change your mind、Music does no longer make sense to me"と書かれてあるのは知ってましたか?


このアルバムに出てくる"君"、"you"というのは
すべてSさんの事を指すと考えて良いでしょう。
01年8月に行われた20周年LIVEではこのアルバムの"モノレール"を、歌う必要の無い曲と角松は言ってました。この曲の詩に出てくる"紺色の翼"はANAを指し、そこのスチュワーデスでモノレール通勤だった事も読み取れます。


"君がやりたかったSCUBA DIVING"というスゴイ綺麗な曲があります。これがきっかけでダイビングの世界に角松は入ったんですね。

("君がやりたかったSAWANOBORI"だったら結構山で出会ってたりして。(^^)ゞ→m(_ _)m)しかし、角松がSさんの為だけに創ったのにもかかわらず、このアルバム

「あるがままに」に対するSさんの答えが
"こんなの聴けないわ"というようなものだったのです角松敏生81〜01Thousand day of Yesterdaysから)
それで、角松の創作意欲は完全にたたれてしまったようです。凍結直前に出したアルバム
「君をこえる日」がたった5曲しか入っていないのがそう感じた根拠です。もちろんタイトル曲にもなってる
"君をこえる日"の"君"はSさんのことだと思います。

"君をゆるすことがもしもできたら 本当の愛に出合える。。。"


実はこの曲"Sound Movies"にも集録されてますが、この映像のプロデュースを行った
人は角松のプライベートにおいても良き相談者だったそうです。そんなところから、この映像はワンカットワンカットが非常深い意味を成したものでき興味深いです。是非改めて見て下さい!


 私が最近見て印象に残ったのは、君をゆるす事ができ、本当の愛に出合えた角松が最終的に1人の素晴らしい女性を見つけて結婚生活を送ったというワンカットが収められている事です。 この映像が創られた93年当時は、きっと自分は幸せになるのだ!!という希望を持っていたのだと推測できます。それが、01年発売のアルバム


"存在の証明"を聴くと、後にも書きますが、

"それでも 僕はここにいるだろう 何かわかるまでは そしていつしか誰もいなくなる…それでもいいさ 僕はひとり …"


と歌っているわけです。(非常に気にしてます。私は。。。) つまり、
もし今、角松が"君をこえる日"のビデオを作ったとしたら、最後に登場してくるおばあさんは、きっと登場しなかった
のではと思います。

そして、創作意欲を失った角松は歌う事を凍結してしまいました。。。
   *
   *
   *さて月日は流れ角松は復活してくれました。解凍後は"個人的な恋愛より"も、"自分個人が今の世相に抱いている感覚"を詩にしている曲が多いですが、




「TIME TUNNEL」"Rendezvous"はMさんもしくはSさんとの久々の出会いを曲にしたようです。
BICの会報には、個人的なことでは無いとの事が書かれてましたが、なかなか信じがたいのが自分の心境です。00年に宇都宮のLIVEで角松は、「彼女(Sさん)は栃木の人だったんです」とのMCがあり、さらに角松は91年の宇都宮のLIVE(ALL IS VANITY)の時の個人的状況から00年までの状況を、




4つのコードをギターで弾いて現してくれました。最初はものすごーい暗いコード。まさにSさんに振られた時でしょう。そして

"Rendezvous"が書かれたであろう年は少し明るい感じのコードでした、「そして今は」と弾いたコードは"この先は?"というような発散したコードでした。これを踏まえるとやはり"Rendezvous"という曲はMさんもしくはSに関係がある曲なのかもしれません。 さらに、2001年の




"存在の証明"でも"Hope all goes well"はSさんの関連する曲に間違いないでしょう。


"約束さえもできない僕を残したまま 君は扉を開いた その果てにある…それでもいいさ 見ててあげる"と言うところに角松の気持ちが読み取れます。そしてこの曲の最後、前にも書きましたが、"それでも 僕はここにいるだろう 何かわかるまでは そしていつしか誰もいなくなる…それでもいいさ 僕はひとり …"この一節に角松の今の気持ちが凝縮されてます。すごく辛いんでしょうね。








大丈夫なんでしょうか?角松は?

 角松敏生というシンガーソングライターを知ってもらうのにはこの曲をどうしても外せないと私は思っているのですが、この曲は重すぎて上手く初心者には伝えられませんです。また

"浜辺の歌""Take you to the sky high"調の曲ですが、この曲も最後に思いっきりに全否定
してます。本当に大丈夫なんでしょうか???この曲に合わせてノリノリで聴いている我々を角松はいったいどう言う眼で見ているのか気になる所です                       *




さて、2003年8月に「Summer 4 Rhythm」が発売されたが、その中で”君をこえる日”
続編、"Hope all goes well"のさらなる続編とも言うべき、曲がありました。それは”Gratitude”
という曲です。
 「Summer 4 Rhythm」に出てくる、”君”、”あなた”は不特定多数の”君”、”あなた”を
指していますが、この曲だけはたった一人の”あなた”を指しています。それは”君をこえる日”の
”君”、"Hope all goes well"に出てくる”君”と同一人物です。

”「ありがとう」それだけ 風に乗せて届くだろう”

という言い回しから、角松は”君”に、これからも会うこと(会えること)は無いのでしょう。
ただ、角松が解凍し、さまざまなバッシングを受けながらも、音楽活動を続けている姿を
”君(Sさん)”は影ながら見守っていたのでしょう。。。

”すべてが、終わった気がした”

この終わったというのは、心理学で出てくる”昇華”したと捉えるのが正解だと思います。
”君をこえる日”を角松が書いたときは、頭では失恋を昇華する方法は理解していたのですが
心がまだそれを受け入れるところまで出来なかったのでしょう。
”君をこえる日”の"ゆるすことが出来たら。。。”から”Gratitude”の"ありがとう"への変化。。。
ようやく、角松は飛び立つ事が出来るようになったのだと、私は感じました。
”Gratitude”の明るい曲想からも感じることが出来ると思いますがいかがでしょう。

"…それでもいいさ 僕はひとり …"と歌った”Hope all goes well”時は非常に心配しましたが
私も良かったなぁ・・・と心から思います。
 
そう、”Gratitude”に出てくる

"汚れたシャツを洗って 真っ白な日々がある"

のシャツは”Hope all goes well”にでてくる”シャツ”にかかっているところが
ニクイデスネ!

                      *                      *

長々と書かさせていただきました。。。
この様に、角松敏生の曲は、一つ一つに自らの血を流して創られています。そしてアルバムのジャケット1つ取ってもそこには深い意味があったりします。いろんな曲の聴き方があり、それはそれで良い事と思います。私が書いた曲の詩の


解釈が合っているか間違っているかは別として、この様に言葉/言葉1つを取ってその状況を浮かべながら角松の当時の気持ちを聴いてみるのも良いかもしれません。


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